教員生活4年目の春
新しく赴任してきた後輩との出会いが、私の人生観を大きく変えることになるとは、その時は想像もしていませんでした。
こんにちは!
教員からの転職について発信をしています!
今回は私の教員時代に出会った後輩のことについてお話させてください!
▼教員のよくあるストレス原因はこちら▼
教員を辞めたいと言った初任との出会い
彼の名前は山田先生(仮名)。
教育学部を卒業したばかりの22歳で、目を輝かせながら「教育を変えたい」と熱く語る姿が印象的でした。
教員になることが幼い頃からの夢だったという山田先生は、学生時代から教育問題に関心を持ち、様々な教育理論を学び、教育実習でも高い評価を得ていたそうです。
先輩!僕は今の教育システムを根本から変えたいんです!子どもたち一人一人の個性を大切にし、彼らの可能性を最大限に引き出す教育を実現したい。そのために、新しい教授法や学級経営の方法を積極的に取り入れていきたいと思っています。
山田先生のその言葉には、まだ社会の荒波にもまれていない純粋さと、教育への強い情熱が感じられました。
すごいアツい人なんだね!
その姿を見て、私は自分が初任だった頃を思い出し、懐かしさと共に、どこか複雑な気持ちになりました。
というのも、私自身も山田先生と同じように、大きな夢と希望を胸に教職の道を選んだはずでした。
しかし、4年間の教員生活で、理想と現実のギャップに幾度となく打ちのめされ、いつしか「ただ日々をこなすだけ」の教員になりつつあったからです。
山田先生の熱意に触れ、私は自分の初心を思い出すと同時に、彼の前途に待ち受ける困難を予感し、複雑な気持ちになりました。
「そうか、頑張れよ。何か困ったことがあったら、いつでも相談に乗るからね。」
山田先生は私が指導教諭だったんです。
そう言って山田先生の肩を叩いた時、私は彼の未来に起こりうる出来事を、まだ想像できていませんでした。
初任教員の現実
慣れない環境での奮闘
山田先生の教員生活は、期待と不安が入り混じる中で始まりました。
着任式での彼の表情は、緊張と希望に満ちていました。
しかし、その希望に満ちた表情が徐々に疲労と戸惑いの色を帯びていくのに、それほど時間はかかりませんでした。
何があったの!?
最初の壁は、想像以上に複雑な学校システムでした。授業の準備や生徒指導はもちろんのこと、膨大な書類作成、会議の連続、保護者対応など、山田先生は慣れない業務に四苦八苦していました。
「先輩、正直、毎日が精一杯です。授業の準備をしっかりしたいのに、他の業務に追われて十分な時間が取れません。生徒たちとじっくり向き合いたいのに、そのゆとりもありません。」
山田先生のこの言葉を聞いた時、私は自分の初任時代を思い出しました。
確かに、教員の仕事は想像以上に多岐にわたり、その全てをこなすのは並大抵のことではありません。
特に初任者にとっては、日々の業務をこなすだけで精一杯なのが現実です。
それでも山田先生は必死に食らいついていきました。
頑張り屋の先生だったんだね。
夜遅くまで学校に残って仕事をし、休日も授業の準備や部活動の指導に時間を費やしていました。
その姿を見て、私は彼の頑張りを誇らしく思う一方で、このペースが続くことへの不安も感じていました。
「山田先生、頑張りはわかるけど、無理しすぎないようにな。長く続けるためには、自分のペースを見つけることも大切だぞ。」
私のアドバイスに、山田先生は小さく頷きましたが、その目には「でも、今は頑張らなきゃ」という強い意志が感じられました。
教員の仕事の特殊性の一つは、その「いきなり感」にあります。
他の多くの職業では、段階的に責任が増えていくのが一般的ですが、教員は初日から生徒の前に立ち、「先生」として振る舞うことを求められます。
研修も受けてないのにいきなりだよね!!
山田先生も赴任してすぐに、彼は1年生のクラス担任を任されることになったのです。
先輩、いきなり担任ですよ。36人の生徒の人生を預かることになるなんて…正直、怖いです。
山田先生の声には不安が滲んでいました。
確かに、クラス担任という重責を初任者に任せるのは、ある意味で無謀とも言えます。
しかし、人手不足の学校現場では、こうした状況が珍しくないのが現実なのです。
さらに困ったことに、教員の業務に関する実践的な新人研修はほとんどありませんでした。
代わりに、山田先生は形式的で現場にはあまり役立たない研修に参加させられ、貴重な時間を奪われていました。
先輩、今日も研修でした。正直、あまり役に立つとは思えません。その時間があれば、授業の準備や生徒との面談に使いたかったです…
山田先生のため息交じりの言葉に、私も同感でした。教育現場の実態と乖離した研修は、新人教員の負担を増やすだけで、実質的な支援にはなっていないのが現状です。
教員って本当余計な研修は多いよね。
そして、もう一つ山田先生を悩ませていたのが、ベテラン教員たちとの付き合いでした。特に、おじさん世代の先生たちからの飲み会の誘いは、断りづらいものでした。
山田君、今日は歓迎会だ。新人さんは必ず参加だからね!
このように、ベテラン教員から声をかけられると、山田先生は断る勇気が出ませんでした。
確かに、こうした場での人間関係づくりも大切ですが、毎日のように続く飲み会は、体力的にも精神的にも大きな負担になっていました。
先輩、正直しんどいです。でも、人間関係を壊したくないから…
新人教員が直面する現実は、想像以上に過酷なものでした。
授業や生徒指導だけでなく、こうした目に見えない部分での負担も、彼らを追い詰めていく要因になっているのです。
空回りする初任の熱意
山田先生の熱意は素晴らしいもので、新しい教育理論や指導法を学んできた山田先生は、それらを積極的に実践しようとしていました。
先輩、こんな新しい授業方法を考えたんです。生徒たちの主体性を引き出せると思うんですが、どうでしょうか?
山田先生の目は輝いていましたが、私は複雑な気持ちになりました。確かに彼のアイデアは魅力的でしたが、現場の実情を考えると、すぐに実践するのは難しいと感じたからです。
どうせ年配教員の腰は重いしな…
と考えてしまいました。
実際、山田先生の新しい試みは、他の教員たちから様々な反応を引き起こしました。
「山田先生、その方法は面白いけど、進度が遅れるんじゃないかな。」
「そんな準備する時間、どこにあるんだ?」
「今までのやり方で十分だろう。」
こうした声が、徐々に山田先生のまわりで聞こえ始めました。
特に、長年同じ方法で教えてきたベテラン教員たちからの反発は強かったのです。
山田先生は落胆しながらも、めげずに新しいアイデアを提案し続けました。しかし、それが逆効果となり、次第に「煙たがられる」存在になっていったのです。
「山田くんは、確かに熱心だけど、ちょっと周りが見えてないんじゃないかな。」
「若いからって、何でも変えればいいってもんじゃないよ。」
こうした声が、教員室で囁かれるようになりました。
山田先生の熱意が、皮肉にも彼を孤立させる要因になっていたのです。
助けられなかったことを今でも後悔しています。
彼の中で、理想と現実のギャップに対する葛藤が始まっているのを感じました。
教育現場における「変革」の難しさを示していました。新しいアイデアを導入する際には、周囲の理解と協力が不可欠です。しかし、その過程で挫折を味わうことも、若手教員にとっては避けられない現実なのかもしれません。
山田先生の姿を見ながら、私は改めて教育現場における「変革」の難しさと、若手教員が直面する壁の高さを実感したのでした。
YESマンの罠!初任教員の落とし穴
山田先生の熱意は、彼を「何でも引き受けるYESマン」にも変えていきました。
新人であるがゆえの遠慮や、認められたいという思いから、彼は周囲からの要請を断ることができなくなっていったのです。
「山田先生、今度の文化祭の企画、君に任せていいかな?」
「山田くん、来週の授業、急だけど代わってもらえない?」
「研究授業を若い山田先生にぜひ挑戦してもらいたいんだ。」
こうした声かけに、山田先生はいつも笑顔で「はい、わかりました」と答えていました。
彼の前向きな姿勢は、周囲の教員たちから一定の評価を得ていましたが、同時に彼の負担は日に日に増していきました。
私も半分一緒に持ったのを覚えています。
ある日、職員室で山田先生の机を見た時、私は愕然としました。
机の上には山積みの書類、付箋だらけの手帳、そして疲れ切った表情の山田がいたのです。
あ、先輩…大丈夫です。確かに忙しいですけど、みんなの役に立てているなら…
YESマンの罠は、一見すると「頑張っている」「責任感がある」と評価されるため、抜け出すのが難しいものです。
しかし、この状況が続けば、必ず限界が来ます。実際、後に山田先生が直面することになる深刻な問題の伏線は、この時期に既に張られていたのかもしれません。
教員の過重な労働環境
初任に降り注ぐ部活動の重圧
山田先生の日々は、授業や校務分掌だけでなく、部活動指導にも大きく時間を割かれていきました。
彼は赴任と同時に、サッカー部の副顧問を任されることになったのです。
「先輩、正直サッカーはあまり得意ではないんです。でも、主顧問の先生から『若いから体力があるだろう』って…」
山田先生の言葉には戸惑いが滲んでいました。しかし、彼は持ち前の責任感から、この役割も全力で引き受けようとしていました。
若手教員は部活動を断れなくて疲弊していくんだよね…。
部活動の指導は、想像以上に過酷でした。
平日は放課後から夕方まで、休日も朝から夕方まで練習や試合が入ります。
山田先生は、自身の不得手な分野を必死に勉強しながら、生徒たちの指導に当たっていました。
「山田先生、もっと厳しく指導してください!このままじゃ強くなれません!」
保護者からのプレッシャーも大きく、勝利至上主義の風潮に山田先生は戸惑いを隠せませんでした。
教育的な観点と競技としての成果を両立させることの難しさを、彼は日々痛感していました。
先輩、部活って本当に大変です。生徒たちの成長は嬉しいんですが、これじゃあ授業の準備も満足にできません…
山田先生の嘆きは、多くの教員が直面している現実を反映していました。部活動は教育活動の一環とされていますが、その負担は教員の本来業務を圧迫しかねないほど大きいのです。
休みなき30連勤の日々
平日は夜遅くまで学校に残り、休日も部活動で潰れる日々。
気がつけば、30日以上連続で出勤していることも珍しくありませんでした。
30連勤!?
1ヶ月丸々休みなし!?
「山田先生、最近休みは取れている?」
私の問いかけに、山田先生は苦笑いを浮かべました。
「先輩、正直言うと…先月から休みらしい休みは取れていません。日曜日に試合がない時は少しゆっくりできますが、それでも練習や事務作業で結局学校に来てしまって…」
この状況は、決して山田先生だけの問題ではありません。多くの教員、特に若手教員が同様の状況に置かれています。休日出勤が当たり前、残業が常態化している教育現場の現実が、ここにあったのです。
「でも先輩、他の先生方も同じように頑張っているんです。僕だけが休むわけにはいきません。」
山田先生の言葉には、使命感と共に諦めのようなものが感じられました。
確かに、教育は崇高な仕事です。
しかし、そのために教員の心身の健康が犠牲になってよいはずがありません。
この過酷な勤務実態は、山田先生だけでなく、多くの教員の「辞めたい」という思いの根底にあるものです。
休息する時間もなく、際限なく続く仕事。それは、どれほど教育への情熱があっても、人間を疲弊させてしまうのです。
山田先生の姿を見ながら、私は教育現場の働き方改革の必要性を強く感じました。
しかし、その実現への道のりが決して平坦ではないことも、同時に痛感せざるを得なかったのです。
「辞めたい」という本音
山田先生が初めて「辞めたい」という言葉を漏らしたのは、赴任して半年が過ぎた頃でした。
ある金曜日の夜遅く、職員室で残業をしていた私たちは、珍しく二人きりになりました。
先輩…正直に言うと、もう限界かもしれません。
山田先生の声は震えていました。
普段の明るい表情はなく、疲労と焦りに満ちた顔で私を見つめていました。
「毎日が戦いです。授業の準備は十分にできない、生徒との関わりも表面的になってしまう。部活動も結果が出せず、保護者からのプレッシャーは増すばかり。こんなはずじゃなかった…」
山田先生の言葉には、理想と現実のギャップに対する深い失望が滲んでいました。彼が描いていた教師像と、現実の自分の姿があまりにもかけ離れていることへの苦悩が伝わってきました。
「正直…辞めたいです。でも、辞めたら負けな気がして…」
入職時には燃えるような情熱を持っていた山田先生が、わずか半年でここまで追い詰められていたのです。
しかし、この「辞めたい」という思いは、決して珍しいものではありません。
2023年度の初任教員のうち、1年以内に離職した教員の割合は4.9%であり、3年連続で増加、2014年度以降で最も高い数値となっています。
「山田先生、辞めたいと思うのは決して恥ずかしいことじゃない。むしろ、それだけ真剣に向き合っている証拠だと思う。」
私は慎重に言葉を選びました。
安易に「頑張れ」とは言えない。
かといって、簡単に「辞めてもいいよ」とも言えない。
教職の難しさと、それでも続ける価値について、私自身もこの瞬間、改めて考えさせられていたのです。
教員を辞めたいと伝えた時の周囲の反応と私の無力感
「3年は頑張れ」の呪縛
山田先生の苦悩が深まる中、周囲の教員たちの反応は様々でした。多くは「若いうちの苦労は当たり前」「慣れれば何とかなる」といった励ましのつもりの言葉を投げかけていました。しかし、最も多かったのは「3年は頑張れ」という助言でした。
「山田先生、最初の3年は誰でも大変なんだよ。それを乗り越えれば、きっと楽になるから。」
「3年我慢すれば、コツがつかめるよ。それまでは辞めるなんて考えちゃダメだ。」
これらの言葉は、善意から出たものでしょう。
この生活を3年もって…
山田先生にとっては重圧以外の何物でもありませんでした。
「先輩…みんな3年頑張れって言うんです。でも、この状況があと2年以上続くと思うと…」
山田先生の目には諦めの色が浮かんでいました。
確かに、経験を積めば多少は楽になる面もあるでしょう。
しかし、根本的な問題 – 過重労働や心身の疲弊 – が解決されるわけではありません。
この「3年」という数字が一人歩きし、若手教員を縛る呪いのようになっていることに、私は違和感を覚えました。
人それぞれのペース、環境、適性があるはずです。
一律に「3年」と決めつけることの危険性を、私は感じずにはいられませんでした。
無力だった私
山田先生の苦悩を目の当たりにしながら、私自身もジレンマに陥っていました。
山田先生を励ましたい。サポートしたいが、根本的な解決策が見つからない。
「山田先生、一緒に飲みに行かないか?少しは気が紛れるかもしれない。」
結局、私にできたことは、たまに飲みに連れ出し、愚痴を聞くことくらいでした。
飲み会の席で、山田先生は時に涙ながらに現状を語りました。
生徒たちへの思い、教育への情熱、そして現実とのギャップに苦しむ姿。それを聞きながら、私は自分の無力さを痛感していました。
「先輩、僕はダメな教師なんでしょうか…」
そんなことは絶対にない。
でも、私には適切な言葉が見つかりませんでした。
「頑張れ」と言っても空虚です。
かといって「辞めていいよ」と簡単に言うこともできません。
教育現場の構造的な問題、若手教員へのサポート不足、そして個人の適性や限界。
これらが複雑に絡み合う中で、一教員にできることの限界を感じずにはいられませんでした。
山田先生の姿を見ながら、私は自問自答を繰り返していました。
教師として、先輩として、一人の人間として、私に何ができるのか。
その答えは、簡単には見つかりませんでした。
ここから私は段々と教育現場の課題に目を向けるようになったんです。
悲劇的な結末:うつ病と休職
山田先生の状況は、3年目に入っても改善の兆しが見えませんでした。
むしろ、責任が増え、期待も高まる中で、彼の負担はさらに重くなっていったのです。
ある日、職員室で山田先生の姿が見当たらないことに気づきました。
嫌な予感がする…
山田先生?ああ、今日は休みの連絡がありましたよ。風邪だそうです。
管理職の言葉に、私は何か引っかかるものを感じました。
山田先生は、これまで体調不良で休むことはほとんどなかったからです。
1週間が過ぎ、2週間が過ぎ…山田先生の姿は学校に戻ってきませんでした。
そして、ついに悲しい知らせが届いたのです。
この時のことを忘れたことはありません。
山田先生が、うつ病で休職することになりました。
校長の言葉に、職員室に重い空気が流れました。
私は、この結果を予見できなかった自分を責めずにはいられませんでした。
後日、山田先生から直接連絡がありました。
先輩…申し訳ありません。結局、僕は逃げ出してしまいました。
電話越しの山田先生の声は、か細く、疲れ切っていました。
「山田先生、そんなふうに思わなくていい。十分頑張ったんだよ。」
私は必死に言葉を探しました。
しかし、どんな言葉を掛けても、山田先生の心の傷を癒すには足りないように感じました。
うつ病。
この診断は、山田先生個人の問題というよりも、教育現場全体が抱える深刻な課題を象徴しているように思えました。
過重労働、精神的ストレス、サポート体制の不足…これらの問題が、一人の若き教師の心と体を蝕んでいったのです。
「もっと早く気づくべきだった…」
「もっと適切なサポートができたはずだ…」
後悔の念が私の心を締め付けました。山田先生をここまでの状況に追い込んでしまったことへの罪悪感と、教育システム全体への怒りが入り混じり、複雑な感情が湧き上がりました。
この出来事は、私に大きな衝撃を与えると同時に、教育現場の在り方、若手教員へのサポート体制、そして教師の働き方について、根本から見直す必要性を強く感じさせました。
山田先生の悲劇を無駄にしないため、そしてこれから教壇に立つ若者たちのために、私たちに何ができるのか。その答えを見つけることが、今の私の使命だと感じています。
教員を辞めたいと思っている人へ
山田先生の経験を通じて、私は教員という職業の難しさと、「辞めたい」と思う心情について深く考えさせられました。
ここでは、教員を辞めたいと思っている人々に共通する特徴や危険アラートをご紹介します。
危険なアラート
理想と現実のギャップに苦しんでいる
多くの教員は、教育に対する高い理想を持って職に就きます。しかし、現実の教育現場では、理想通りにいかないことが多々あります。この理想と現実のギャップに苦しむ教員は少なくありません。
過重労働に疲弊している
長時間労働、休日出勤、際限のない仕事量。これらは多くの教員が直面する現実です。心身ともに疲弊し、「もうこれ以上続けられない」と感じる教員が増えています。
人間関係のストレスを抱えている
生徒との関係、同僚との関係、保護者との関係。様々な人間関係の中でストレスを感じ、孤立感を抱える教員も多いです。
自己効力感の低下を感じている
努力しても成果が見えない、生徒の変化を感じられないなど、自分の教育の効果に疑問を感じ始めると、教員としての自信を失っていきます。
ワークライフバランスの崩壊している
仕事に追われ、私生活が犠牲になっている状況。家族との時間、自己啓発の時間、趣味の時間が取れないことに苦しんでいる教員が多いです。
これらの特徴は、山田先生の事例にも顕著に表れていました。しかし、これらは決して個人の問題ではなく、教育システム全体が抱える構造的な問題から生じていることが多いのです。
今すぐ教員を辞めた方が良い人の特徴
以下のような状況にある場合は、自身の健康や将来のキャリアのために、教職を離れることを真剣に考える必要があるかもしれません。
・心身の健康に深刻な影響が出ている
・生徒に対して否定的な感情が強くなっている
・教育に対する情熱が完全に失われている
・他の職業への強い興味や適性を感じている
・家庭生活に重大な支障をきたしている
これらの特徴は、決して教員としての能力や資質を否定するものではありません。むしろ、個人の幸福や健康、そして長期的なキャリアを考慮した場合の指標として捉えるべきでしょう。
山田先生の事例を通じて、私たちは教員という職業の難しさと、個々人にとっての適性の重要性を再認識させられました。
初任者だからこそ教員でも転職できる
若手教員、特に初任者が転職を考えることは、決してネガティブなことではありません。むしろ、キャリアの早い段階での転職には、いくつかの利点があります。
教員は若い方が転職市場価値が高い
適応力の高さ
若いうちは新しい環境や仕事に適応する能力が高いです。
学ぶ意欲も旺盛で、新しいスキルの習得も比較的容易です。
経済的負担の少なさ
一般的に、若いうちは扶養家族も少なく、生活コストも低いため、転職に伴うリスクを取りやすい状況にあります。
キャリアの柔軟性
職歴が短いうちは、キャリアの方向転換がしやすいです。
長年同じ職場にいるよりも、多様な経験を積むチャンスがあります。
年齢的優位性
多くの企業が若い人材を求めており、20代〜30代前半は転職市場で有利な立場にあります。
▼教員から転職したいという方はこちら▼
また、今すぐの転職ではなく、キャリアのプロに相談してみるという方法もあります。
【無料体験も充実】おすすめのキャリアコーチング8選|Up Survive
まとめ:後輩の経験から学んだこと
山田先生の経験、そして教職を取り巻く現状について深く考察してきました。ここで、これまでの内容を振り返り、私たちが学んだことをまとめてみたいと思います。
教員を辞めたいと思う要因
- 長時間労働による心身の疲弊
- 生徒指導の難しさ
- 保護者対応のストレス
- 人間関係の悩み(同僚との軋轢など)
- 自己効力感の低下(努力が成果に結びつかない感覚)
- メンター制度の不十分さ
- 業務の偏重(若手に雑務が集中する傾向)
- 相談しづらい職場環境
早期の自己分析と決断の重要性
山田先生の事例から、私たちは早い段階での決断の重要性を学びました。
彼が3年間苦しみ続けた末にうつ病で休職に至ったことは、教職の適性や自身の価値観との整合性を早期に見極めることの大切さを示しています。
教員を続けるか辞めるかは、他人が決めることではありません。
自分の価値観、適性、ライフプランに照らし合わせて、自分で決断を下す必要があります。
教職を離れることは「逃げ」でも「負け」でもありません。
新たなキャリアに挑戦することも、立派な選択肢の一つです。一方で、困難を乗り越えて教職を続けることを選んだ場合も、それは勇気ある決断といえるでしょう。
大切なのは、自分自身と向き合い、納得のいく選択をすることです。そして、その選択に対して責任を持ち、全力で取り組むことです。
現に教員の離職者は年々増加をしています。
▼教員の離職率についてはこちら▼
教員が働きやすい環境づくりのために
教職という仕事に正解も不正解もありません。それぞれが自分なりの答えを見つけ、自分らしい人生を歩んでいくことが大切です。この記事が、そんな皆さんの人生の選択の一助となれば幸いです。
教育の世界は常に変化し続けています。
教員の働き方改革が進んでいることをご存知ですか?
▼教員の働き方改革の現状はこちら▼
これからも、教育に関わる全ての人々が、より良い教育環境を目指して努力を続けていくことを願っています。そして、一人でも多くの教員が、やりがいを持って仕事に取り組める日が来ることを心から希望しています。
ありがとうございました!